FDは新潟市にあるデザイン会社です。創業1991年から工場とものづくりに取り組む中で[FD STYLE]を立ち上げ、生活日用品などのプロダクトを中心に企画から販売まで行っています。日頃から工場を訪問し、産地で一気通貫した製造プロセスを熟知する私たちだからこそ提案できる製品を作っています。
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KITCHEN TOOLS
キッチンツールシリーズは、三条市にあるプリンス工業の高野専務(当時)からデザインコンペに向け「カタチにするから好きにデザインしてほしい」と言われたことをきっかけにデザインした製品を中心に、フッ素加工で黒くしたFD STYLEの原点となる製品群です。
ステンレス製品は錆びにくいという特性上、シルバーの素地のままの製品がほとんどで、キッチンにおいてどれも同じように見えてしまいます。そこで、道具としての機能を表現したフォルムをより美しく見せてくれるマットブラックを採用しました。一方、ステンレス表面に塗装すると「はがれる」というリスクがうまれてしまうことから、「フッ素加工」を選び、安全性にも配慮しています。
2010年、イギリスのライフスタイルカルチャー雑誌『Wallpaper』における「Design of the year」に選ばれ、グッドデザイン賞にも選定されました。初めて自分がデザインしたものを自分で売るという点で手ごたえを感じることができました。近年は、他社からも黒く塗装したステンレス製品が増えつつありますが、些細な事でも新しい価値創造がデザイナーの役割だと考えています。
FD STYLEは、基本的な道具としての性能を持ちながら、世の中に有りそうでない、所有する喜びを感じられる製品を目指しています。
IRON FRYING PAN
フッ素の耐熱温度は260℃。フッ素加工(テフロン加工)のフライパンが焦げ付くようになると、フッ素が「はがれた」と思われがちですが、実際は加熱による劣化が原因です。焦げ付きにくいという理由で、家庭で普及していったフッ素加工でしたが、高温加熱による劣化によって効果が得られないとなると、あらためて鉄フライパンのほうが良いのではないか、と考えました。
鉄フライパン自体は、熱効率も良いし、調理によって鉄分も摂取できます。一方、手入れが面倒くさいという声が多い。使い方や手入れのハードルを下げることができれば、もっと使ってもらうことができると判断し、鉄フライパンの「窒化」に挑戦することにしました。新潟市にあった鉄鋼系メーカー(JFE)の施設の協力を得て、フライパンの窒化に成功しました。「OXYNIT 加工(特許取得)」と名付けたこの加工は鉄表面を硬くし、酸化被膜を発生させることで耐食性を高め、鉄フライパンを使うことに伴う手入れの手間を軽減させてくれます。
製造にあたっては、本来鉄鍋をつくることを専門としていない工場(ツバメテック+プリンス工業)の協力によって、完成させることができました。フライパンの本体(皿の部分)はOXYNIT加工の鉄で、平らな面積が広い形状に設計し、ハンドル金具は熱を伝えにくいステンレス製、持ち手には竹のハンドルを選びました。このハンドルは調理したものを器へ移す動作がしやすいように、丸ではなくあえて四角い断面形状を持たせました。さらに、専用フックも作り、壁掛けにも対応しました。
デザイナーの仕事は、自分がほしいものをただ形にすればいいと思っている人が多いかもしれませんが、それは違います。僕らは地域にたくさんある工場の仕事の価値を高めるためにデザインしています。さらにそれを使ってもらった人の声を受け入れることで、その価値はさらに高まっていきます。
HOT WATER BOTTLE
ステンレスは、錆びに強く保温力が高い金属で、まさに湯たんぽに適した素材です。株式会社ツバメテックが作るステンレス製のコンパクトな湯たんぽは、電気ポットで沸かしたお湯でまかなえる小ぶりなサイズ。金属の冷たい感じをカバーする耐熱シリコン塗装のタイプも展開しています。
「コンパクトなサイズ(φ165mm)の湯たんぽをもっと売りたい」という相談をツバメテックの会長から受けたことをきっかけに、新潟市にあった製糸工場の糸を使い、五泉市のニットメーカーとカバーをつくり、雪国で必要とされる湯たんぽを雪国に拠点を持つメーカーに協力してもらいました。
湯たんぽを通して、燕の金属加工業と五泉の繊維産業、同じ新潟にあっても普段は接点のない産業同士の協業を実現し、あれから10シーズンを超えました。ニット産地もグローバルに大量生産される製品との競争で厳しい状況です。そうした中でも自社ブランド226(つつむ)を展開する五泉市のサイフクと湯たんぽを「包む」カバーをつくりました。無撚糸のコットンを使い、肌触りにこだわり、染色を行わず、素材そのもののナチュラルな風合いを生かした製品です。
MAGIP
永塚製作所は、明治時代から続く、炭や灰、薪にまつわる「火ばさみ」「火おこし」「十能」や草花の植え付け、土の掘り起こしに使う「移植ごて」を製造している歴史ある工場です。当初は、昔ながらの道具であるため、現代においてそれらを使う具体的なシーンがイメージできていませんでした。製造業の経験が全くなく、入社3年目だった能勢専務(当時)から、自社製品を作りたいが、何を作れば良いかまったくわからないという相談を受けました。
当時、渋谷の若者たちを中心にゴミ拾い活動が盛んに行われていたことから、ゴミ拾い専用のトングを作ることを提案しました。それまでのほとんどのゴミ拾いには「火ばさみ」が使われていましたが、火を使うことはないため、安全性を高めるために先端と持ち手にシリコンゴムを用いることで差別化を図りました。
当時の永塚製作所は、ホームセンターや100均向けのOEM製品が中心で、自社製品であっても価格を安くしないと売れないと信じきっていました。とりわけ「1,000円を超えると売れない」と強く言われたことを覚えています。そこで、デザイナーズウィーク東京への参加や、グッドデザイン賞への応募により、全く異なる販路を開拓しました。また、デザイナーズウィーク東京で知りあったスポーツゴミ拾い協会の方にコンタクトを取り、公式トングとして採用してもらいました。こうした展開は、製造業の経験がなくとも、それまでに培った能勢専務のコミュニケーション能力が最大限に活かされた成果だと思っています。